ヤンゴン・バガン・インレー
|
2007/8/16〜8/20
|
旅 程 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||
|
|
ガラス工房の職人さん ただでさえ暑いミャンマーで、火を 扱いながら、長時間働いている。 |
|||||||||
|
|
|||||||||
ヘーホー空港前でシャカトウを売る少女がいた。私がシャカトウを珍しそうにジロジロ見ていると、迷わず割り、笑顔で手渡してくれた。こうやって食べるんだと、自分も食べて見せてくれた。甘くておいしかった。癒される笑顔だった。 失礼とは思ったけど、どうしても渡したくて無理矢理100Kを渡した。こんな時、旅行者の私はどうしたらよいのだろうといつも思う・・・。 |
||||||||||
インレー湖の水上レストランの厨房 |
インレー湖 |
漆工房の職人さん |
||||||||
インレー・レイクビュー・リゾート・ホテルのドアボーイ 輝く笑顔だ。 |
|
||||||||||||
|
||||||||||||
「Inle Lake View Resort (インレー・レイクビュー・リゾート)」 一瞬だったが停電があった。 こんなにきれいなホテルだが、通信状況はかなり悪く、レセプションですら国際電話が不能だった。 しかし、レセプションのお姉さんが、どこならかけることができるとか、 イ ンターネットの案内だとか、とても丁寧に教えてくれた。 レストランのウエイター、ひたむきな働きぶりだった。 料理は一皿一皿愛情込めて並べ、説明し・・・。 あまりスパイシーな料理は好きじゃないことを伝えると、厨房に伝えてスパイスを抑えてくれるなどした。 21:00からスパの予約を入れていることを話すと、今度は早足で料理を運び・・・。 一人一人のお客を大事にしている様子がビンビン伝わり、気持ちのよいディナーだった。 |
||||||||||||
フービン・ホテル(2軒あるが、新しい方) |
|
手書きの国内線チケット (民間3社) |
ニャンウー空港 |
エア・マンダレー 初めての体験だったが、 シートは全て自由席 |
ニャンウーのマーケット 炎天下、いろいろな野菜を売っていた。 |
車を降りるなり、たくさんの人が寄って来た。 | ||||
そして、誰かが白い花の首飾りをかけてくれた。 | |||||||
絢爛豪華! 「シュエズィーゴーン・パヤー」 昔は女性は回廊までしか 入れなかったそうだ。 |
ここには仏陀の額骨と歯が納めら れているらしい。 |
寺院やパヤーは 全て裸足でお参りする。 |
八曜日の祭壇があった。その曜日生まれの人がお祈りをするそうだ。まずは仏像に年の数だけ水を掛け、次に守り神、その後ろの柱、象徴となる動物(私はトリね)の順に水を掛けるとのこと。 | ||||
屋根の形から、「グービャウッヂー寺院」と 思うのだが・・・違うかもしれない・・。 ビルマ族風、シャン族風・・・ パヤーにもいろいろあるらしい。 |
おっきなおっきな獅子 |
||||||
瓶にはエーヤワディ川の水が入っていて、お参りの人は喉が渇いたら飲むらしい。 | |||||||
バガン最大の「アーナンダ寺院」 本堂は一辺63mの正方形 塔の高さ50m |
ミャンマーにはたくさんの 菩提樹があった。 |
「ティローミィンロー寺院」 |
|||||
崩れた煉瓦造りのパヤー 補修(というか、再建)していた。 |
周辺にはキュウリやトウモロ コシなどが植えられていた。 |
バガンで唯一のヒンドゥー寺院 「ナッフラウン寺院」 931年建立 |
|||||
|
|
ティリピセヤ・サクラ・ ホテルの 斜め前にあった。 |
|||||
「タビィニュ寺院」 高さ65m。バガンで最も高い。 |
仏教説話が描かれたレリーフ |
|
|||||
黄金に輝く仏像たち |
|||||||
今回の旅で、一番気に入った仏像、「シュエズィーゴーン・パヤー」の仏陀。う、美し過ぎるっ! |
どんな仏像だったんだろう? ユネスコの修復は、全体の50%も進んでいないのだという。 |
きれいな彩色が施されていたが、野ざらしの状態で、 刻々と崩壊に向かっている。 |
|
学校 |
|
|
|
インレー湖では、家は勿論、 畑さえも湖の上。 |
ここからボートトリップへ。 |
ホテルのコテージ |
||||||
|
こちらも水上寺院 インレー湖の水深は 乾期で2m 雨期は6m |
少数民族のインダー族は、 小舟を片足で巧みに操る。 |
|
||||||
学校に通う子どもたち |
ここでは船は自転車代わり |
|
|||||||
|
|
|
2500年の歴史があり、仏陀の聖髪を祀っているという「シュエダゴォン・パヤー」 塔の高さ 99,4m 基底部の周囲は、433m 5000を超すダイヤモンドや、1300個のルビー、ヒスイが飾られている。 尖塔の傘の部分には、きれいな音色の鈴がつけられている。 |
マハーボディー寺院 |
||||||||||||||
外国人の入場料金は何と5$だった!・・・が、それだけの価値はあった。すごい建造物だった。 老若男女が真剣にお参りをする姿には驚いた。日本だったら間違いなく王子様扱いされそうなイケメンのあんちゃんもいた。 みんな目を固く閉じ、ひざまずき、一心不乱に祈っていた。そんな人々の姿に心が洗われた。 |
|||||||||||||||
祈る人々 |
|
|
仏教説話のワンダーランド? 「メーラムー・パヤー」 |
||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||
|
|
取り立てて書くほどでもないのだが・・・・、おトボケなネタを一席。 ミャンマーに限らず、東南アジアの市街地のトイレには紙がなく、基本はビデ。 と言っても、清潔度にいささか問題ありそうな(すみません)、タライと自分の手を使わなくちゃならないので、いつも私はウエットティッシュを使用していた。 が、この日、何だか随分気持ちよさそうなシャワーが、メーラム・パヤーに備わっていたのよね。 寺院歩きで汚れた足も洗いたかったし(寺院やパヤーのお参りは全て裸足。カラスのフンを踏もうと、犬のオシッコを踏もうと、絶対裸足というきまり。)、 どんなもんかと初めてビデを使ってみた。 「きゃ〜、こりゃ〜い〜。」日本のビデと違って水の出る穴が多いので、広範囲にスッキリさわやか。まるでお風呂で浴びるシャワーみたいだった。 手足もついでにしっかりパシャパシャ。 で、使った後に気が付いた・・・。これって、川の水??そりゃーそうよね。飲み水だって、川の水が壺に入れられてるんだものね。 ビデの水だけ塩素消毒された水なんてあり得ないよね・・・。で、急に恐怖を感じた。 インドでは、ガンガーの水に手をつけただけで、N先輩はお腹を壊した・・・。 ガイドブックには、インド人の沐浴の真似をしてガンガーに浸かってはいけないと書いてあった・・・。 万が一浸かっても、局所だけは浸からないようにと書いてあった・・・。 それなのに私は局所めざしてしっかりかけた!(インドとミャンマーの違いはあるけど) 優しいN先輩は、「きっと大丈夫よ、あそこは酸性が強いから、ばい菌がいても入ってこないよ。」と慰めてくれたが、 この年でそんなに健康な酸性度を保っているとも思えず、落ち込んだ・・・。 え?結果?酸性度OKでしたっ。ほっふー(;^ω^) だけど、今後は慎みたい。 これから行かれるみなさんも、酸性度にかかわらず、どうか気を付けて下さいね〜。 |
眠った。移動中は、ただひたすら眠り続けた。 |
〜もしかしたらお役立ち情報? その2〜 ・日焼け止めは、腕の裏側や足の先、衣類の下までしっかり塗りましょう! 〜もしかしたらお役立ち情報? その3〜 ・携帯電話は全く使えなかった。 ・「通信機器の持ち込みが厳しく制限されていて、携帯電話が入国で見つかれば出国の時まで管理局に預けられる」って情報に、内心ビクビクしていたが、全く問題外だった! 〜終わりに〜 アウンサンスーチーの本は、これから注文して読んでみるつもり。せっかくご縁のできたミャンマーだから、もっと関心を持ち、自分にできることを考えたい。 今回、ミャンマー流社会主義についても、事前にもっと調べておけばよかったと思った。私たちの落としたお金がどのようになったのか、是非とも知りたい。ビルマ人の暮らしやインフラや教育レベルが少しでもよくなることに貢献できたのかできなかったのか、どうしても知りたいと思う。 軍政ミャンマーの旅は、平和について考えさせてくれる意義深い旅だった。元気な限り、これからも、どこかの国に出掛けてゆきたい。 旅仲間、随時募集中です。趣味の合う人、連絡してね〜〜っ!「弥次喜多プラス1(or2)」で、見聞を広め、人生を楽しみましょう! |
<追記1> 帰国の2日後、ヤンゴンでは燃料費の引き上げに対する僧侶中心の抗議デモ(約1000人)が起こった・・・。 景色はいい、人も優しい、でも政治は国民を満足させていない・・・。それがミャンマーという国だった。 |
<追記2>2007,09.25 デモはますます拡大している。(約10万人) デモする僧侶たちを守るように、市民が手を繋ぎ、横歩きしている映像をネットで見た。 政治的話題はタブーだった国の人々が、堂々と顔を出し、声をあげている。 ヤンゴンとマンダレーでは、夜9時から朝5時までの60日間の夜間外出禁止令が出たようだ。 <追記3>2007,09,27 遂に死傷者が出てしまって心が痛む。武器を持たない自国の民に、命令とは言え発砲できるものなんだろうか? 治安部隊は未明にヤンゴンの僧院をも急襲した。 ミャンマーの海外危険情報が引き上げられた。 <追記4>2007,09,28 ミャンマー政府がインターネットを閉鎖。 <追記5>2007,10,07 民主化デモが武力により鎮圧。インターネット一部復旧。 夜間外出禁止が午後10時から午前5時までに緩和。 <追記6>2007,10,12 国連安全保障理事会が11日に採択した議長声明をミャンマー政府が拒否。 <追記7>2007,10.13 夜間外出禁止が午後11時からに緩和。 |
COPYRIGHT BY Yoshiko 2007-
------------------------------