留魂録
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吉田松陰が江戸伝馬町獄で刑死する前々日から 前日の夕暮れまでに書いた遺言書(写し)。全16章 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂」 何と誇り高く、格調高い遺書なのだろう。 |
旅人 松陰
松陰は船に乗ったり歩いたりして、あちこちを旅していた。 |
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旅することは、愛国心の表れだと思うし、また、 旅するからこそ郷土をより深く愛せるのだと思う。 |
<松陰誕生地>
生家跡
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天保元年(1830年)、萩藩士 杉百合 之助の二男としてこの地に生まれた。 玄関三畳、表座敷六畳、隠居部屋三畳、 居間六畳と台所、物置、納屋、厩舎があった。 明治維新100周年を記念して1968(昭和43年)に建立。 金子重輔を従え、下田沖のぺリー艦隊を見つめている姿。 高さは約8m。嶺武四郎 製作。 誕生地からの眺め |
松陰の墓 墓所には、松陰の他、玉木文之進(松陰の叔父)、久坂玄瑞、高杉晋作、杉百合之助(松陰の父)達の 墓もある。 |
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<吉田松陰の墓>
<親族の墓> <高杉晋作の墓> <護国山東光寺>黄檗宗 毛利家墓所(国指定 史跡) 元禄4年(1691年)に3代藩主 毛利吉就が創建。 総門、三門、鐘楼、大雄宝殿が、 国の重要文化財に指定されている。 吉田松陰の甥 楫取道明の墓 近くに奥平謙輔の墓もあるらしかったが、 どれだか分からなかった。 |