柴灯護摩・火渡り神事
2006,11,23
山口県「教育相談・臨床教育」研究会の定例会で、
「地域・民俗文化療法」のフィールドワークに参加した。
感動的だった。インドを思い出した。
聖なる河ガンガーをめざし、人々は集まる。
そして死に、焼かれていく。
人々が、何のためらいもなく護摩の灰の上を歩く姿は、ヒンドゥー教徒のそれと同じなのではないかと思った。
ここはお寺なのか神社なのか、インドなのか日本なのか、一瞬混乱。
(・・・結局どこだっていいのよね。)
人々は煩悩だらけで生きている。生きているだけで苦しい。だけど癒されたい。だからこの神事は続くのね・・・そう思った。
帰って調べた所によると、「護摩」とはインドの古い言葉(バーリ語)で【焚く】とか【焼く】という意味らしい。
(やっぱりヒンドゥーの言葉だったわん。)
そして広辞苑によると、「智慧の火で煩悩の薪を焚くことを象徴する」のだそうだ。
私も火渡りを体験したから、1年間の罪が贖われたのかしら・・・?
(すっかり火が消えた後だったけどね・・・(;^ω^)
二井寺山の山頂へ向かった。
途中、たくさんの石仏があった。
ここが山頂の二井寺山極楽寺。住職さんがお話をしていた。 |
鳥居の奥に新しそうな不動明王があった。 |
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するとそこに、法螺貝を鳴らしながら、
山伏のみなさんが現れた。 |
お坊さん達も |
お寺の前で祈祷 |
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そして不動明王の前での神事
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お寺なのに鳥居(神道の建造物) |
ここ、特等席だった。\(^O^)/ |
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横綱の奉納土俵入りに、ちょっと似てないかな? |
四つ角に向かって放たれた矢を拾うといいらしい。 |
いよいよ点火。小枝が竹に差してあった。 |
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護摩壇からは少しずつ煙が出始めて |
火はどんどん大きくなっていった。 |
念仏を唱えながら、護摩木(氏名と共に諸願成就を祈願した木札)が燃やされていった。 |
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「エイッ!」と気合いを入れながら、
持ち物を祈祷(願掛け)してもらった。 |
いよいよ山伏達は裸足になり始めた。 |
カメラを構えるお坊さん |
こんなにも燃えさかる火の中に突入!(一番左の人)
私はあまりに動転し、シャッターチャンスを逃す! ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
この後、全ての山伏が突入したが、全て切り損ねた。
着火こそしなかったが、明らかに皮膚は焦げていた!
出てきた人の頭からは、湯気というか、煙が立ち上っていた。
なんでそんなことするのっ???
ほんとにこれが修行なの?
自虐行為なのではないのっ?
疑問の声が、ぐるぐる頭の中で響き渡った。
荒行の数分後、塩が撒かれ、鎮火した。
す る と !
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それまで見ていた人々が、
続々裸足になり始めた。 |
おおっ!子ども達まで! |
と言うわけで、私も大急ぎで靴下を脱ぎ捨て、炭を踏みしめて渡った。
エキサイティングな体験だった。
意外にも全く熱くはなかった。火が完全に消えていたので当たり前か。
トリですわよ、それも「おおとり」 ←・・・威張るか?(^_^;)