ムンバイ・アウランガーバード
・エローラ・ヴァナラーシー・
サールナート・シンガポール
2006/1/03〜1/09


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2006年1月

お釈迦さまのふるさと、インディア・・・

石仏のふるさと、インディア・・・

未だ厳格なカーストに縛られながらも、
著しい経済成長を続ける国

人々が懸命に生きる国

ん、もう、インドに行くしかないでしょう!



 I N D I A 編 


寒さと暑さと飢えと渇えと

風と太陽の熱と虻と蛇と

これらすべてのものにうち勝って

犀(さい)の角のようにただ独り歩め
by 中村元訳「ブッダのことば」岩波文庫



<ガンガー>



<アウランガーバード>



<エローラ:カイラーサ寺院>
1月3日(火)  
シンガポールへ・・・そしてムンバイへ
 10:20発のシンガポール航空で、まずはシンガポールへ。
 チャンギ国際空港から真っ先にタクシーで行ったのは、「チャンギ刑務所チャペル&博物館」。
 7年前シンガポールに行った時、「クランジ戦争記念公園」で、鳥肌が立つほどのショックを覚えた・・・。日本軍は、我々に何の危害も加えたことのない南国のこの善良な人々を、こんなにも無惨な方法で虐殺したのかと・・・。だからもう1度見ておきたかった。戦争の記録、日本の記録を。
 日本軍の捕虜となった人々が作ったチャペルには、日本の高校生が、千羽鶴を捧げていた。
 博物館内の記録にはまたもや驚いた。私は今まで(7年前まで)ほんとに何も知らなかった、知らなさ過ぎた。

 その後、MRTを使って町歩きした。
 前来た時はなかったんだけど、MRTは空港にも延びていて、とっても便利になっていた。
 

 ムンバイに向けて飛び立った。ムンバイ到着は23:10。時差は3時間半。
 ムンバイ国際空港からはプリペードタクシーで最初のホテルに向かった。
 が、行けども行けども着かない!同じ道をグルグル回る!夜道は真っ暗。誰に聞いても「そこならよく知っている。」と言って教えてくれるのに、たどり着かない。もう、不安で不安で・・。「このままどこかに売り飛ばされる?」「おばさんだからそれはないよね?」などと、あらぬことを考えながら揺られること約1時間半・・・。普通の2倍の時間をかけ、深夜1時、や〜っとホテルにたどり着いた。

 インド式ホテルの浴室。ポーターに、お湯は10分しか使えないんだと言われたが、しっかり出た・・・。  ついでに翌日訪れたカムラ・ネルー公園のトイレも載せておこう。これで使用料10ルピー。高っ!ちなみに男性は、ストリートで公然と用を足す。
 インド初日のホテルは、動物園のすぐそばだった。で、一晩中鳥の鳴き声(叫び声)と、コーランが聞こえてきたよ。エアコンが壊れかけていて、がたがた鳴るし、結構不気味ではあった。
Heritage Hotel ★★★泊
1月4日(水) 
ムンバイ市内観光・・・そして、アウランガーバードへ
 プライベートカーで、ムンバイの市内観光。
 手前が、頼みもしないのに勝手に車に乗り込んできたガイド。歴史的建物の建築年代等、質問してもな〜んにも答えられなかったが、後でガイド料200ルピー(約560円)を請求してきた。それに、観光後のショッピングをかたくなに断ったら、ハンバーガーとジュースを勧めてきたゾ〜。これって、もしかしてガイドブックや現地危険情報等で紹介されている、あれかも・・・?
 ムンバイのドライバーのドライビングスキルは、想像を絶するものだった。車幅感覚もスゴイ、周囲の車との駆け引きもスゴイ。まるでサーキット場にいるみたいだった。
 インド門〜中は立ち入り禁止になっていた。  アラビア海の観光船〜お客が集まったら出港するというアバウトさ  インド民族主義の象徴、タージ・マハールホテル
 高級ホテルが建ち並ぶマリーン・ドライブ〜海岸は、ラバーズスポットだとか。 町の中のヒンドゥー教寺院  道端の物売り。香辛料や野菜が所狭しと並べられていた。
水族館  いかにもブリティッシュな庭園。「ハンギング・ガーデンズ」  タクシーは、黒の車体に黄色い屋根のアンバサダー。インド国産車。床が錆びて朽ち、乗ると路面が見えてるものもあった。
 公園の外の露店の飲み物は、不純物が浮いていて栓の具合もかなり怪しかったので買わず、恐る恐る熱いチャイ(10Rs=約28円)を飲んだ。 カムラ・ネルー公園  駅かバス停ほどの大きさのアウランガーバード空港。銃を持った兵隊が、テロを警戒して目を光らせていた。
 
 市内観光後、15:20発のインディアン・エアラインでアウランガーバードへ向かうはずだった・・・が、なんとなんと、待たされること5時間よ!実際に飛んだのは20:30だった!時間があるので、もうちょっとムンバイ観光でも・・・と空港を出ると、たくさんのドライバーが(砂糖に群がるアリのように)駈け寄り吹っ掛けて来るので待合室に逆戻り。(空港内の観光案内所にも行ったけど、ここでも吹っ掛けられた。)長〜い待ち時間だった・・。

 機内では、噂通り、食事(全てカレー味、超スパイシー)が終わると消毒薬をアテンダントがスプレー散布。ちょっぴり(かなりかも)カルチャーショックだった。

 ムンバイの国内線の空港では、インディアン・エアラインとその他の航空会社でターミナルが別で、ちょっと離れているんだけど、タクシーで降りた所は反対側。で、移動しようとしていると、タクシーやリキシャーやいろんな人たちが、「遠くて歩いて行けない。」「絶対ムリ!」「150Rsでどうだい?」「ムンバイからは飛ばないからチケット買い替えてデリーに行け。」とか、まぁさんざん言い寄って来た。でも気にせず、泥や牛のフンや人々のオシッコなどでベトベトの道を、自力で歩いて行ったら、ものの5分でちゃーんとたどり着いたゾ(靴は汚れまくったけどね)。もうちょっと商売っ気抜きで親切な人はいないのかしらっ?(○`ε´○)

 空港で待ってる時、南アフリカの若者と話をした。そんな遠くから来たのかと、とても驚いていた。(南アフリカも、あんまり変わらんと思うのだが) で、日本はコンピュータも安いし、ものすごい先進国だと言ったので、何だかちょっと照れくさかった(←私が照れてどーする?)。そして、お金だけを狙ってくるインド人には辟易していると言っていた。私たち観光客が、インドのいやな面だけを見て帰国するとしたら、それはとっても悲しいことだよね・・。 
Rama International ★★★泊
1月5日(木) 
アウランガーバード市内観光&エローラ!   その後ムンバイへ
 プライベートカーで、アウランガーバード市内&エローラ観光

 自然の山を利用して造った要塞、「ダウラターバード」。入り口にはたくさんの参拝者が詰めかけていた。洋服を着ている女性は皆無で、みんなビビッドな色づかいのサリーを着ていた。  アウラングゼーブ皇帝が第一妃のために建てたビービー・マクバラー。ミニタージと呼ばれている。  アジア人は珍しいらしく、あっちこっちで写真を撮らせてくれと声をかけられた。全部断ったけど、私たちの前に立ちはだかり、仲間に勝手に撮らせていた人も。
アウラングゼーブ帝廟  遠くに見えるのが、デカン高原にポツリと浮かぶダウラターバード。宇宙船みたいだ。  遙かなるデカン高原〜山はなく、ずーと先まで高原が続き、地平線が見えていた。
 このドライバーは、読み書きもでき、誠実だった。小学校には3年間だけ通ったそうだ。自分の英語は上手じゃないと言って謙遜していた。インドには英語を含め、19の公用語がある。  エローラとアウランガーバードの間には、小さな村がいくつかあった。  石窟同士、少し離れているのでオートリキシャーを使った。左がドライバーで、右がその弟(勧誘専門&ボス)。
 ムガル庭園「パンチャッキー」。10km先の水源から水が引かれている。 夢にまで見たエローラ!  象や人などの細かい文様が描かれた壁面
 岩を100年以上かかって掘り下げて造ったカイラーサ寺院。これが一枚岩だなんて、その巨大さ、精密さにビックリする。  ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教の寺院が併設されている。それぞれ独自の建築様式を持っており、面白い。  リンガ。信仰の中心にこれがある。
 かなり風化していて、原形をとどめないものも多かった。急いで修復しないと大変なことになってしまう! 
 
 昼食は、ホテルでとったのだが、席に着くなり5〜6人に取り囲まれ、注文もしてないものを次から次に持って来られた。「No,Thank you.」って恐い顔でキッパリ言ったが、いくつかは勝手にお皿に盛られてしまったのよね。で、会計は999ルピー。何よ、そのマイナス1って。ちょっとは遠慮したんだろうか?またもやカモられてしまった・・・。

 アウランガーバードからムンバイへ。フライトは、またまた5時間の遅れ!乗客もそれを知って集まってるみたいだった。時間ができたので、待ち時間はタクシーで、駅舎やバザールを観光した。
野良バッファロー 道路には牛がひく車もいっぱい  アウランガーバード駅。空港より広くて立派。ここで35Rsの大判スカーフと100Rsのサンダルを買った。初めてインディアンプライスで買い物をしたゾ〜〜〜っ!
 空港からホテルまではメータータクシーに乗った。交渉のいらないメーター制だし、空港職員がナンバーや行き先をチェックしてくれたので、これなら安心!って思ったのだが、またもや!インドはそんなに甘くはなかった。メーターは48だったのに、おっきい荷物があるとか何とかで、350Rsも取られてしまったゾ!恐るべし。ムンバイのドライバーたち!
The Leela Kenpinski★★★★★泊
1月6日(金) 
ムンバイからバナラースィーへ
 飛行機を降りると、ここでも、ものすご〜くしつこいタクシードライバーに会った。私たちが他の車に乗ろうとすると邪魔しまくるの。なんてたくましいのだろう。最後は値切りまくって乗車したんだけど、どこに連れてかれるか分からないし、ヒヤヒヤした。「そのベルトいいね。いくらだった?何Rsで売ってくれる?自分のと交換しよう。」とか、「ケータイ今持ってる?」とか言われて、ますます猜疑心が募った。翌日の観光ガイドも勧められたが断固として断った。
 日本の車も走ってた。HONDAとSUZUKIが人気らしい。  2時間小舟をチャーターした。 ガンジス河のサンセット
 1隻に60人以上も乗って巡礼している人たちも。  舟から市街を臨む  焼かれているのは遺体だ。ヒンドゥー教徒は、ここで焼かれることを至上の喜びとする。遺灰はガンガーに流す。
 いろんなガート(階段状の沐浴場)が、ここには100以上もある。使用するガートは、男女や宗教で分かれている。  花で囲んだろうそくに火をつけ、ガンガーに浮かべる。
 
 舟から降りると約束の場所にリキシャーがおらず、リキシャーワーラーの上司だという男のしつこい売り込みに遭った。ドライバーはすぐ来るから、それまでショップに行こうだのチャイを飲もうだのとさんざん言って来る。あんまりしつこいから「2分間だけ待つけど、もうこれ以上待てない!」って叫んでカウントダウンしていると、なんと2分ドンピシャでドライバー現る。な〜?私たちをカモらせるために席を外しただけだったのね〜〜っ。
Hindustan International★★★★泊
1月7日(土)ムンバイ
バナラースィーからサールナートへ。そしてムンバイへ
 朝6時にバナラースィー市内観光に出発。バナラースィーは小さい町で、オートリキシャーで1時間半くらいで見所は全て回れた。途中、ガンジス河の日の出や、沐浴風景を見た。道端でたき火をして暖を取っている人もたくさんいた。家もなく、ストリートで野良牛や痩せた犬と一緒に、泥にまみれながら朝を迎えている人々もいた。
 乾季の間だけ設置される、ガンガーにかかる浮き橋。マハラジャの宮殿「ラーム・ナガル城」に行くことができる。  ヒンドゥー教の神々を祀るヴィシュワナート寺院。ヒンドゥー大学の構内にある。ロケットの形だわん。インドで教育を受けることのできる人はごくわずかだ。庭園ではヨガをしている人もいた。 バザールの一コマ
 バーラト・マータ寺院は、大理石でできたインドの立体地図がご本尊。  牛のフンを丸く固め、塀に貼り付けて乾かしている。  この人のオートリキシャーで観光地を巡った。朝早くから迎えに来てくれたので助かった。
 サールナートは、ブッタが最初に説法をしたという仏教の聖地。説法を聞いた5人の僧侶が仏教を世界に伝えたと言う。  説法地に建てられたダメーク・ストゥーパ。直径28m、高さ34m。これも宇宙船の格好をしているゾ!う〜む。  サールナートで出会ったお坊さんたち。お土産物屋さんを覗いていた。近くには、日本人が経営するお店や日本人の僧が修行する日本寺院、日月山法輪寺などもあり、なんだか日本と関わりの深げな町だった。
 
 デリーを経由し、3度目のムンバイへ。何だかムンバイ通になった気分。この旅行では、計10回飛行機に乗った。

 ムンバイのサンタ・クルス空港(国内線空港)のカウンターで予約して泊まった「The Mirador hotel」、チョーオススメ!日本並みのサービスだった。フロントマンのきびきびした身のこなし、ポーターの笑顔、清潔な室内、食事、それに送迎サービスも、全てに満足。インドで泊まった中で、最も安心できるホテルだった。

 インド最後の夜だ。寝る前、インドの思い出をN先輩と語り合った。涙が出そうなくらい2人で大笑いした。
The Mirador hotel★★★★泊
1月8日(日)
ムンバイからシンガポールへ
 遂にインドともお別れの時が来た。が、最後の最後にオチがあった・・・。アイデンティティカードをぶら下げた国際空港職員に騙されたよ!数人でチームを組んで小遣い稼ぎをしていたの。こんなこと、あっていいのだろうか?!食べ放題・飲み放題・マッサージもし放題のラウンジがあると言われ、引っかかってしまった。(部屋には飲み物とマッサージチェアしかなかった!)でも、数分後、犯人を見つけて接近し、「pay back money!」と大声で叫び睨み付け、60$(2人分)取り戻したのじゃ。これが今旅行最大の私の武勇伝(?)かもね。。(ёё。)♪

 シンガポールでは、この旅行で初めて日本人の姿を見、日本語を聞き、ものすごく懐かしかったよ。空港職員に道を聞いた時も、ムンバイと違って親切で正直で、とってもありがたかった。
 
 帰りもシンガポールに少しだけ入国した。MRTでブギスまで行き、ショッピングと食事をした。シンガポールは中国系の人が多くて見た目が日本人と同じだし、インフラも日本と全く変わりなく、言い寄ってくる人もいない。喧噪の中でも落ち着くことができた。食事は1週間振りの和食を食べた。器以外は日本と何ら変わらなかった。
 シンガポール空港では、遂に念願のマッサージを果たしたよ。中国式の指圧で、とっても気持ちよかった。(@^0^@) 
1月9日(月)
シンガポールから日本へ
 私にとってインドは、かなりハードな国ではあった。でも、人を騙してでも成り上がろうとする人たちの瞳の中に、人間の底力と希望を感じた。インドは生きるエネルギーに満ちた国だった。

 いつかまた、インドを訪れたい。次回はコルカタをゲートシティに、チェンナイや、マーマッラプラム、カーンチープラムを巡ってみたい。素朴なインディアンたちと一緒に田舎道をとぼとぼ歩いてみたい。

 できれば、YY(長男)やHりん(次男)とも一緒に行きたいな。2人には、若い今だからこそインディアンのパワーを感じてほしい。2人は何て言うだろうか?
 今回、食事はホテルと機内食で全てまかなった。そのためか、幸い下痢は1日であっさり終わった。ベトナム・カンボジアでは、帰国後2日間グロッキーだったことを思えば、かなりの進歩かも。☆^∇°

 インドの男性のセクシュアリティについては、かなりオープンな気がした。男同士で手をつないで歩いてる姿もたくさん見かけたし、妻が2人って人もいた。何と言っても寺院ではリンガが厳かに祀られてるんだものね。しかし、女性に対しては予想通り抑圧的。私たちみたいに、参拝以外で夫と離れて出歩くなんてことはあり得ないし、肌の見える服を着ることも、女性がお酒をたしなむことも御法度みたいだった。町でも観光地でも、男性100人に対して、ほんの数人女性を見かけただけだった。

 物乞いをする人々がこんなにたくさんいた国も初めてだった。私にとってはわずかなお金でも、路上生活者にとっては何日も暮らせるだけのお金なのだろう。赤ちゃんを抱いてさまよう姿には、心が痛む。だけど、だからと言って施すことは、本当に善なのだろうか?私はとても混乱した。その場限りの援助が、どれほど悪循環に加担し彼らを追い詰めるのか、もっと原点に立ち返って考えなければならないんじゃないだろうか。今の私には何にもできないんだけどね・・・。

 インディアンの訛りの激しさには、当初かなり戸惑った。発音しない音や変化形もいっぱいで、「shop」は「ソープ」なのよ。「R」は全部「ル」だし。「airport」は「エアルポルト」で、「order」は「オルダル」。初めは何言ってるか分からなかったよ。

 かなり気分よかったのは、年を言うとみんなビックリしてくれたこと。30歳に見えるとかって言われ、思わず奮発しそうになっちゃった(^o^;)。

 「衣食足りて礼節を知る」、今回の旅ほど、この格言が身に染みた旅はない。ほんとに礼儀も節度も全然ない人々にたくさん出会った。でもそんな彼らを責めるつもりは全くない。N先輩も言ってたけど、みんな愛すべき人たちだった。一生懸命生きていた。また行きたいゾ、インディア!
 

 最後になりましたが、一緒に行って下さったN先輩にお礼申し上げます。私に付き合って下さって、本当にありがとうございました。柔と剛、とっても調和の取れたナイスコンビネーションだったと思います。お陰様でとっても楽しい旅ができました。機会がありましたら、また是非よろしくお願い致します。 m(._.)m 

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追記1 <四方山話>
 狂犬と蚊には、結構私たち神経質だった。野良犬を見かけると、よだれを垂らしてないか遠くから厳しくチェック。図らずも近づいてしまった場合は、決して目が合わないように細心の注意を払った。また、インドでは、昼間はデング熱の菌を持つ蚊が飛んでいて、日が暮れてからはマラリア菌を持つ蚊が飛んでいるらしい。タクシーの中などに蚊がいれば、きゃーきゃー言って追い出し、空港などで飛んでるものを見かけると、防虫スプレーを自分にかけまくった。(←かなりアホに見えたと思うよ。)

 ガンガーではコレラ菌も長くは生きてないらしい。あれを飲んだり浸かったりできれば、地球上で恐いものなんて、もう何もないんじゃないかと思う。

 ムンバイの某ホテル、事前に入金してたにもかかわらず、再び請求された。只今異議申立を申請中。

 インド人の歯磨きは木の枝でゴシゴシやる。ダイナミックな磨き方だった。

 オシッコもだけど、道端にペッって唾を吐く人がものすごく多かったよ。


追記2 <どうしても気になること>
 徹底的にディマンドしてくるインド人もアブナイが、フレンドリーなインド人も結構アブナイ。これっていったいどうしてなのだろう?我々の間には、決して友情は結べないってことなのだろうか?彼らの働く姿に笑顔もない。ひたすら獲物を狙う鷹の目だ。目つきの鋭い人がほんとに多かった。何だか、政略結婚した大名の妻を思い出す。(決して自分の出自は忘れず、いざとなれば実家最優先で行動したのよね。) これって、カーストシステムと、深いつながりがあるんじゃないのかな?絶対に踏み越えられない境界線を、彼らは私たちとの間に厳然と持っていたように思う。

 世界のうちの20%の人間が、世界の80%の富を所有し、70%のエネルギーを消費していると言われている。前日に契約し、早朝迎えに来てくれたリキシャーワーラーの足は泥だらけだった。着ている物も同じだった。夜は当然のことのように熱いシャワーを浴び、毎日清潔な服を着る私と、生まれ付いた国以外、何ら変わりはないと言うのに。そのへんの不条理さが身につまされるとでも言いましょうか、たかられ、ボラれ、毎日大変だったけど、搾取されてるのはやっぱり彼らの方だった・・・。忘れたくない、インドのこと。インドで人生観変わる人は多いって聞くけど、私にとっても、特別な国だったと思う。


追記3 <いろんなインド人>
 空港や機内で会ったインド人は、身なりもきれいで目も血走っておらず、みんな紳士だった。私はかなり警戒してたんだけど、どこから来たのかとか、どこに泊まるんだとか、あそこはとってもいいホテルで安心だよとか、ガイドブックにマーカー入れてるのを見て「勉強熱心なんだね」とか、ほんとに普通の会話ができた。いろんなインド人がいるなんて当然のことなのに、それも忘れてしまいそうなくらいたくさんのすさんだ人々に出会った旅ではあった。