ローマ・ピサ・フィレンツェ
・ナポリ・ポンペイ
2001/12/23〜12/28

<イタリア編>

コロッセオ フィレンツェのサンタさん
23日 午前7時、日本を出国。夜、永遠の都ローマに到着。
 ツンドラのシベリアの大地の上を延々飛び、アルプスを越えてローマ/フィウミチーノ空港に到着した。
 空港からホテルまでがものすごく遠かったので、こんなに郊外のホテルだったのかと、ちょっとがっくりきたが、何のことはない空港が郊外なだけで、ホテルは終着駅の名で有名なテルミニ駅のすぐそばだった。これなら夜出歩ける、ラッキー〜と思ったが、夜はお店が早くから閉まり、買い物スポットのコンドッティ通りでさえ、8時半にはすっかり閉店!クリスマスのイルミネーションがなければ街中でも結構暗いのが意外だった。街には日本のようにパチンコ屋やボーリング場などがあるわけでもなく、映画館にだって派手な看板はいっさいない。初めて訪れたローマは、とても上品で清楚なたたずまいの街だった。
24日 早朝より、バスでナポリ・ポンペイへ
 雨がちらちら舞い、ちょっと寒かったが、さっすが南国。ナポリにはいろいろな色の花がたくさん植えられていて綺麗だった。歴代のナポリ国王が住んだという王宮や歌劇場、サンタ・ルチア港、ガラスの吹き抜けが印象的なウンベルト1世アーケード、重厚なフランス風建築のカステル・ヌオーボォやサン・フランチェスコ・パオラ教会等を見学しながら、ポンペイに向かった。
 ポンペイは、79年のヴェスヴィオ火山の大噴火で一瞬にして死の灰に埋まった大都市で、都市の上に降り積もった灰は7〜13メートルにもなったという。18世紀から始まって今も続いている発掘作業の根気よさにもビックリしたが、城壁に囲まれたその都市の壮大さと精密さにはすっかり感動した。道や水道が整備され、中央広場や大聖堂・神殿・浴場・円形競技場などの公共施設も完璧。選挙広告や売春宿を見た時は、こんな昔から選挙は男だけのもので、女は性を買われる立場だったのかとちょっとため息。円形競技場も身分や性別で見る場所が決まっていたらしい。 
25日
イタリア人ドライバー&ガイドと共に、ベンツでローマ市内観光
 最初に行ったのはローマのシンボル、コロッセオ。崩れかけてはいたものの、100年以上もかけて建設された競技場には、様式の違う巨大な柱がたくさん据えられていて圧巻だった。すぐそばのコンスタンティヌス帝の凱旋門も美しいレリーフに彩られ、とても素敵だった。
 次に行ったのは「真実の口」のあるサンタ・マリア・インコスメディン教会。外壁に、前々日車が突っ込んだそうで、「真実の口」そばの鉄の扉がめちゃくちゃに壊れていた。「真実の口」が壊れなくてほんとによかった。
 ヴァチカン市国では、世界一美しいと言われるサン・ピエトロ広場とサン・ピエトロ大聖堂を見学。法王のクリスマスのミサが始まる前だったので、荷物をチェックされるなど警戒も厳しく、大聖堂には厳粛な雰囲気が漂っていた。ピエタの礼拝堂では、若き日のミケランジェロの作品「ピエタ像」のマリアの美しさにうっとりした。
 その後、トレヴィの泉でコインを投げ、スペイン広場等見学。食事の後は、カラカラ浴場やフォロ・ロマーノ等を見学した。
26日 フィレンツェ・ピサへ
 ユーロシティはなかなか快適で、2時間半でフィレンツェへ。ルネサンスの巨匠を育て近代芸術の源となったフィレンツェは、町全体が、さながら芸術作品のようだった。ドゥオモやジョットの鐘楼、洗礼堂等のビビッドな色使いからは、ローマにはない闊達さが窺えた。イタリアルネッサンスの至宝を集めたウフィツィ美術館には、ミケランジェロの「聖家族」、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」などの名作が、所狭しと並べられていた!
 その後、鈍行列車&バスでピサへ。斜塔はすごい傾きだったが、その隣の豪奢な洗礼堂も傾いていた!!
27日 ローマからパリへ。そしてパリから帰国
 早朝、サンタ・マリア・マッジョーレ教会周辺の市場へ行った。2日間のクリスマス休暇を終えた市場や商店が徐々に開き、賑わいを取り戻したようだった。
 午後、帰国の途についた。飛行機では、時々映画を観たものの、一睡もせずゲーム三昧。6日間できなかった分をしっかり取り戻した。映画は「ムーラン・ルージュ」評価A。古めかしいストーリーではあったが、主人公の純粋さがしっかり描かれており、ダンスや歌も洗練されていて楽しめた。
28日 午後2時成田に到着。
福岡空港への便がなく、延々5時間成田で暇つぶし!
 地球文化の起源を見たような6日間だった。もしまたイタリアに行く機会があったなら、次はヴェネツィアとミラノを是非訪れたい。