・・石城山 2・・

先週に引き続き、再び 謎の山、石城山へ。

家を出たのは6:30AM
夜明けと共に歩き出した。

前回は、神籠石の周りをぐるりと歩いただけだったが
今回は、脇道にある巨石も探し歩いた。

アップダウンが結構あったので、
何だかちょっと筋肉痛。
┐(´・c_・` ;)┌ 

が、今回は「神域説」への確信が、
ぐぐーんと深まりましたことよっ。( ̄ー ̄+

昭和38,39年の調査で、「山城説」ってことで
落ち着いたそうだけど、
唐や新羅の侵攻に備えて築いたにしては
キレイに加工され過ぎてない?
ものすごい数の岩が、つるんつるんに磨かれていて、
人々の岩への愛情を感じた。

また、「山城説」だと、
亡命百済貴族が築城指導ってことになるが、
それ、時代が下がり過ぎてるんじゃないのだろうか?
築城以前は神域でなかったというのなら、
生活の痕跡とか遺構とか、
何か見つかってもよさそうな気が。



まぁ、これは私のただの想像なんだけど・・・。

だけど、あれこれ想像するのって楽しいのよね。

謎ってほんとにおもしろい!

歩き始めてしばらくすると、やっとお日様が顔を出した。

「石城の小天狗さま」と呼ばれた石城判官の子息が、
大刀でまっぷたつに割ったとされる「試し切り石」

表示はなかったが、たぶん「砥石」

こちらも表示はなかったが、明らかにオーラが違う石だった。
これが「盃状穴」なのかも?
祭祀に使ったと思われる窪みあり。



気になる石が、あっちこっちにゴロゴロと。

「舟石」
あたりは沼地だった。

「龍尾石」
この岩の約500m先に、龍の頭の部分と言われる岩がある。
里には、月夜に龍が走るという伝説がある。

この後、「石城山のむかしばなし」著者の
谷千寿子さんにお会いしたのだけど、その時伺った話では、
神籠石が胴体で、里から見るとゆらゆら動いて見えたそうだ。

「山姥の穴」と呼ばれる水門
人がやっとひとり通れる大きさ。全部で4ヶ所ある。



神様密集地帯(?)

お隣の神社との距離は、
ほんの10mそこそこの所も

昭和初期の「丁目石柱」


「丁目地蔵尊」


 山から下りると、20歳頃まで神籠石の内部に住んでおられた谷千寿子さんにお会いし、少しだけ話を伺うことができた。

 著書の「石城山のむかしばなし」と「石城山案内」も購入。熟読した。

 んもう、ますます石城山への関心が高くなったよ。☆.。.:

 「また行きたい。」って言うと、夫が、「えー、またぁ〜?」って、ちょっとあきれ顔だったよ・・・。(┯_┯)





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Last Update : 27/Jan/2007