- 切山八幡宮
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吽
阿
吽のアップ
阿のアップ
寛政10年(1798年) 歯がかなり、かわいい。 口角が上がっていて、まるで笑ってるみたいだ。
尻尾は折れていたよ。巻き毛の方が太いから折れにくいかもね。線彫りの男性器(阿)
立体的にするほどの技術がまだなかったってことなのかな。う〜む・・。
一千二百五十年大祭記念
(昭和31年)燈籠
文化3年(1806年)燈籠
文化14年(1814年)手水鉢
文政9年(1826年)
- 西連寺そばの神社(現地で名前を確認しそびれた。地図にも出ていない。)
- ここには平成17年建設の真新しい社殿が建っていた。
参道
カンボジアのワット・バケンを思い出したよ。参道の石段は、所々に石を残すのみで、ほとんど坂道状態だった。手水鉢
嘉永2年(1849年)2月鳥居のそばには墓所があった
新しそうな仏像があったものの、墓所は荒れ果て、倒れたり土に埋まったりした墓石ばかりだった。足元にもたくさんの墓石が転がっていた・・・。ぜんそくに効くという石仏
- 浅江神社
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どっしりとした体形で、存在感はなかなかのものだ。
神主さんによると、昭和44年に島根県の産地で破格値で造ったのだそうだが、なにせ砂岩のため耐久性が悪いそうだ。確かにあっちこっちが欠けていた。阿 阿の後ろ姿 吽 こちらは「天明8年9月吉日」と記されている。古い割りには肉付きもよく、躍動感があってなかなか凝った作品だと思う。(1788年)
砂岩だから加工しやすかったってことなのかもしれない。阿 阿を別角度から 吽の顔は、かなり平べったい 寛保2年壬戌6月(1742年)建立の燈籠。他にも、寛政5年(1793年)や、寛政11年、文化5年(1808年)の燈籠などがあった。 この鳥居は、「天明7年丁未7月吉祥日」(1787年)の建立。所々補修されていた。 昭和3年の新しい燈籠だが、地震(周防灘地震のことかな?)で、一番上の石が落ちたのだそうだ。 用水の右側に、ころんと転がっているのが燈籠の先 <神主さんの話>
浅江神社は、地元の5つの神社が合祀されて誕生した。
また、ここは旧海軍工廠を見下ろす高台にある。終戦の前日、海軍工廠が空襲を受けたが、その際、爆風が直撃し、本殿が激しく損傷した。
- 観妙院(?)
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女性器が描かれているのは初めて見たよ!かなり記号的だ。
- 妙見本宮降松神社
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寛政2年(1790年)戌3月 社殿前の狛犬 参道の狛犬。こちらも寛政2年 顔つきは似ているが、境内の狛犬より体形にかなりリアリティーがある。そして風化も進んでる。 阿のアップ 最近復元されたみたい。
台座には「寛政2年」とあったが、どう見ても平成のもの。明和3年丙戌9月(1766年) 臥牛の庭 参道にあった「清浄水」 〜天保12年(1841年)〜 天保の大飢饉が天保4年から数年間だから、その後の設置ということになる。 「延宝7年己未」(1679年)の燈籠!やった〜!1600年代、初めて見っけ〜〜〜っ!
角が取れ、まるまるとしている。真ん中の石はまっぷたつに割れている。読みづらいが、「暦首夏十月八日」とも記されている。ここにはおっきな鳥居があったんだろうか? 基礎石だけが残っていた。 安永2年(1773年) 天明4年(1784年) 降松神社には、平成に建てられた新しい燈籠も多かったが、何百年か後の人たちが、「う〜ん、年号がよく見えんな〜。平成なんとかって書いてあるみたい・・・。」とか言いながら、観察するのかもしれないな。狛犬巡りを始めて思うんだけど、「未来」に繋がる「今」を生きられることが、嬉しいっていうか、\(^0^)/らっき〜♪な気がするよ。
- 19.Feb.2006
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・地図によると、三島神社に北野社、金比羅神社、由加神社・・・。近くには、まだまだたくさんの神社があるみたいだ。
・ぼちぼちだけど、巡りますことよっ!
・ところで、昔行った中国旅行の写真を見ていると、こんなのがあったよ。オー!w(^o^)W かなり狛犬っぽいわ!日本の狛犬と違うのは、顔が外向き(参道向き)になっていないこと、台座が四角くないこと、色が石の色じゃないこと、前脚を立ててないこと・・・などかな。でも、日本の狛犬のルーツかも! たぶん、上海か蘇州の写真じゃないかと思うけど、お寺の名前は、もう全然分からない・・・。(;・・ヘ)