天文20年(1551年)9月1日、中国地方の太守 大内義隆は家臣の陶晴賢に攻められ、湯本温泉の大寧寺で自刃。翌2日、長子の義尊は捕らえられ惨殺。末子の歓寿丸は女装して山中にかくまわれていたが、翌春捕らえられ、ここで殺された。その際、男児の証拠に男性器を切られ、持ち去られた。これを里人は憐れみ、この社を建て霊を慰めた。 |
観音堂入り口の六地蔵 |
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台座には明和2年(1765年)とあった。事件から200年以上後の建立ということになる。 | |||
これが最も古そうだった。 | いろんなカタチの石像が、林立していた。 木造のものや、コンクリート製、鉄製もあった。 |
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「そんなに撮らなくても」って夫に言われたが・・・。 子宝祈願や健康祈願で訪れる人も多いみたいだ。 | |||
木の裂け目の中にも小さい像が。 | 漢字違ってる・・。 | たくさん奉納してあった。 | |
脇侍 | これだけ向きが違っていた。どれもこれもそうだけど、これは特に、どう見ても、幼児の男性器じゃあない。 |
こういうのは、どこかで見たことあるような気がする。 | |
←これがご本尊なのかもしれない。 年銘読み取れず→ |