バンコク・アユタヤ
2003/10/14(火)〜10/17(金)


一体一体丁寧に袈裟がかけてあった
大仏も涅槃仏も街角の僧侶も、
袈裟はみんなこの色だった
身につけてるのはアユタヤで買った
タイシルクのワンピ
さらっとしていて着心地はvery good!
ワット・アルン〜高さ75mの大仏塔〜
 中国製の陶器が貼りめぐらされていて七色に輝き、
とってもきれいだった
 学校に行っていない子どもが多いのに驚いた。平日の朝から、観光地でハガキを売ったりフルーツを売ったりしていた。聞くと、授業料は安いのだが30%くらいの子どもが全く学校に行っていないのだという。日本語を巧みに操り、観光客をだまそうとしている子どももいた。生きるために、彼らは必死なのだ。パッポンでタバコをふかしていた子も、バイクに二人乗りしてた子も、警戒する私に大声で憎まれ口をきいてきた子(100円が300Bなわけないのに、さらっとだまそうとしてきた!)も、みんな、教育を受け大切に守られるべき子どもたちなのに、タイ政府はこんなにも多くの子をまだ救えないでいる。
 大人も必死で働いている姿が印象的だった。工事現場では裸足の人が多く、体中を泥まみれにして働いていた。疲れ果ててか、手足に泥汚れが付いたまま、朝から道端で眠りこけている人もいた。
 バンコクの中心部は、空気がものすごく汚く、しばらくいるだけで、爪の間や目の中まで、排気ガスのススがたまっていく感じだった。店先に飾ってある商品も、触っただけで手が黒くなった。トゥクトゥク(三輪タクシー)は、景色もよく見え、とっても楽しい乗り物だが、バンコク中心部では排気ガスをイヤというほど浴び、鼻や口を押さえて乗らなければ相当不快だった。
 バンコクで開催されるAPECのために交通規制が大変厳しく、道はとても混雑していた。私が泊まったホテル(シャングリラ〜ウェルカムフルーツが毎日補充されてて感激!)には、誰だかわからないけどどこかの国の要人が16日から泊まるそうで、黒服のSPがうじゃうじゃいた。チャオプラヤー川の川岸には大きな幕が張られていたが、それは何と、ゲストにスラムを見せないようにするためなんだそうだ! 急場しのぎに取り繕って、いったい何の意味があるというのだろう。
 タイは英語が通じない国だと聞いていたが、トゥクトゥクのドライバーも商店の店員も、み〜んな英語はOKだった。きっと独学。みんなタイなまりだった。(Hの発音が独特だった。)
 タイは国民の95%が仏教徒で、男子は一生に一度は僧になるのだと言う。ほんとに、街の中、いたるところにお寺があり、僧の姿もたくさん見かけた。
 ゲイの多さに驚いた。周囲の様子から、彼らは既に市民権を得ているのではないかと感じた。オーストラリアなどからもパートナーを見つけるためにゲイがどんどん入国しているそうだ。もしタイが、誰もがイヤな思いをせずに自分らしく堂々と生きてゆける国なのなら、とても素晴らしいと思った。
バンコクだけで3〜4万人も日本人が住んでいるらしい。さすがにおにぎりはなかったが、セブンイレブンもいっぱいあったし、日本企業の看板もたくさん見かけた。こんなに身近な国だったのかと、意外だった。


1014

 朝、福岡空港を出発。台北と香港で乗り継ぎ&ショッピング。夕方やっとバンコクに着いた。(機内食3回・・食べ過ぎ・・)

 チェックインするとすぐにBTS(きれいな電車だったけど、行きも帰りも途中で2度停電し、車内は真っ暗になった。なぜ?)で、パッポンに行ってみた。噂通り、ものすごい賑わいの大歓楽街だった。
 露店が所狭しと軒を連ね、品物はどれも安かったが、「No,Thank you.」と言って立ち去ろうとすると、すぐに値を下げてきて、それもなかなか面白かった。お客はほとんどが外国人。露店の店員たちがほんとにたくましく見えた。
 
 入り口から少し見えただけだけど、両脇の風俗店の中では若い女の子達(かなり若い!)が、大音響のお立ち台の上でビキニで踊っていた。外国人を楽しませ、それで国の経済を潤している・・・殉国の士と言えば大げさだろうけど、私には彼女たちがそんな風に見えた。

 せっかくバンコクまで来て、日本料理を食べることもないだろうと思ったが、なんだか妙に定食が食べたくなって、サラデーン駅のデパートでカツ定食を食べてみた。ご飯は日本のお米を使ってるらしく食べ慣れた味で、おみそ汁やサラダ、漬け物もついてたったの100バーツ(約300円)だった。

 夜、へとへとになってホテルに帰り爆睡した。


1015

 早朝、タクシーでホアランボーン駅へ。そこでアユタヤ行きの3等のチケットを購入し、列車を待った。
プラットホームには、たくさんの人が身動きもせずじーっと(生活に疲れているのだろうか・・・?)列車を待っていた。

  

 待ってる間、切符を見て初めて気付いたんだけど、20バーツの切符を1000バーツで買って、お釣りがたったの780バーツ!ぎゃー、ボラれた〜〜〜っと大声で叫びたかったが、既に列車が来る時刻になっていたので乗り遅れては大変と思い、涙を飲んだ。買う前に運賃を調べなかった私が悪い。駅員を公務員だろうと思って信じた私が悪い。大きなお札を出してお釣りを確認しなかったし・・。220バーツは600円ちょっとだけど、悔しくて悲しい気分だった。
 しかも、始発だというのに列車は20分待っても来ない。こんなことなら取り返しに行っとけばよかったとまた後悔・・。何だか先が思いやられる1日の始まり・・・。

 列車に乗ると、もうそこはタイの庶民の息づかいが聞こえるような、雑然とした空間。大きな荷物を抱えた人や、荷物の上に座り込む人、のみ取り(?)している少女たち、座りもしないのに席取りをしてロープを張っている人・・・。エアコンもなく、途中でドアが壊れて閉まらなくなったり(開きっぱなしで走った!)、駅でもないのに何度か停車したりしたが、約2時間後には、バンコクから75Km離れたアユタヤにやっと到着した。
 列車の中では、隣に座ったおじさんや前に立ってたお兄さんが、「next station」とか教えてくれて、悪い人ばっかりじゃないやって、ちょっと気を取り直した。

 アユタヤに降りると、もう完全に強気の私。トゥクトゥクのドライバーと時間をかけて交渉し、安く観光できることになった。(値切りまくり)
 さすが、アユタヤは35代の王が417年間に渡って文明を築いてきた街だ。歴史の遺物が半端じゃない。ビルマ軍に破壊された跡は痛々しかったが、それでも素晴らしい遺跡群・・・こんなのが見たかったの〜、タイに来てよかった〜と、心から思った。

 アユタヤから20Km離れたバン・パイン宮殿にもトゥクトゥクで行ってみた。トゥクトゥクのスピードがまるで出ない(ハンドルはさび、エンジンはバリバリ鳴っていた)ので、道沿いの家の暮らしぶりがよく見えた。前近代とも言える貧しい暮らしがそこにはあった。

 湖上に浮かぶパン・パイン宮殿は、とてもきれいな宮殿だった。ガイドブックなどによく出ている、プラ・ティナン・アイサワン・ティッパイートは、想像より随分小さかったが、やっぱり贅沢な建物だった。道沿いの暮らしとあまりに対照的で、搾取の上に築かれたのだと思うと、素直に感動できなかった。パリ郊外で見たベルサイユ宮殿を思い出した。



 帰りは、アユタヤまでソンテウ(改造小型トラック)に乗り、バンコクまでは長距離バス(エアコン&TV付きで快適だった)、バンコクでは市内バスに乗った。市内バスのガイドは英語が話せず、とっても不安だった(私が何回も聞くので困った顔をしていた。ごめんなさい。)が、降りる所で教えてくれたので助かった。

 夜、シャングリラでタイ舞踊を鑑賞しながら食事した。レストランで働くお姉さんが、おススメの観光地や交通手段を詳しく教えてくれたので嬉しかった。

 その後、またBTSでパッポンへ。初めてタイ式マッサージをやってみた。身体がすーっと軽くなった。

アユタヤには日本人町跡もあり、日本とはつながりの深い街だ。


 ビルマ軍により木の根の間に埋めこまれた仏像の頭などがあった。
 そこでは仏像より高い位置で写真を撮らないよう注意された。
高さ5m、長さ28mの
寝釈迦仏像

足下に同じポーズの
私が写ってるヨ。

1016

 レストランのお姉さんに言われた通り、船に乗って王宮に行ってみた。船はラッシュもないし、空気はきれいだし、快適だった。(たったの5バーツ。学生とか、小さい子も乗っていた。安全にはそんなに配慮してないみたいだった。落ちる人なんていないのかもしれない。)
 王宮はものすごくゴージャスだった。広い敷地の中にあるもの全てが、きんきんだった。地元の人も、たくさんお参りに来ていた。パン・パイン宮殿もそうだったけど、王宮は仏頂面の兵士が銃を持って厳重に警備していた。

 その後、プライベートボートをチャーターし、チャオプラヤー川の対岸のワットアルン等観光した。



 下船後は、トゥクトゥクでワット・インドラヴィハーン等を観光。ワット・ポーは残念ながらクローズドしていた。その後、イヤだと言うのにドライバーに宝石店に連れて行かれた! 見るだけでいいと言ったので、一応お店に入ってトイレを借り、何も買わずにお店を出ると、ドライバーの態度が急変。ガソリンがないとか何とかいろいろ言う。それでも無視していると今度は頼みもしないのにカーペット屋へ。「もういい!」と言うと200Bよこせと言う。ピッキーン(キレる音)! 文句言いながら20Bだけ無理矢理渡すと、さっさと歩いて通りに出た。(追ってくるかと思ったが、追われなくてほっとした。)さっきまで、チェンマイに住んでただの、アユタヤでお守りを買っただの、なんのかんのと笑顔で親しげに話しかけてきてたのに、なんてオヤジだ。ピキピキピキ(キレまくり) 私なんて、カモでしかないってことか!

 少し歩くと民主記念塔に出たので、喫茶店でカフェオーレ(意外に高く、80バーツ)を飲んでいろいろ道を聞いた後、歩いてワット・ボウォニウェートへ。バンコクにはほんとにたくさんの寺院があるとつくづく思う。



 その後、歩いてカオサーン通りへ。パッポンみたいに風俗店は見かけなかったが、露店もいっぱいで外国人もいっぱい。ネイルサロンとか露店の美容院とかもあり、楽しい街だった。
 買い物したり、食事したりしてぶらぶら歩いていると、ちょっと前に道を教えてくれたファミリーに再会。お母さんは、タイ式マッサージの勉強をしたんだそうで、おススメのお店を教えてくれた。そこで再びマッサージすることに。腕は確かそうだが、ずーっとおしゃべりしてる女の人に揉んでもらった。あっちこっちの骨がばきっと鳴った!(お腹を揉む時は、妊娠中でないか聞かれた。お肉のせいなのっ??)

 帰りも船に乗ろうと思ったが、夕方明るいうちから早々クローズドしてたので、タクシーでホテルに向かった。トゥクトゥクみたいに悪い空気は吸わなくていいけれど、ものすごい渋滞(VIPが通るため通行止めにしていたらしい)で、ドライバーも結構イライラしてた。

 夜、デパートへ行き、最上階の食堂で食事した。食券の買い方が分からなくてウロウロしてたら料理人のお姉さんが優しく教えてくれたので嬉しかった。もし日本で外国人とか、困ってる人を見かけたら、ぜ〜ったい優しくしてあげるんだって、改めて心に誓った。帰りに10Bのケーキを4つ買い、ホテルで食べたら、すごく幸せな気分になった。

 王宮・ワットプラケオ
 ノースリーブでは入
場できないので、カー
ディガンを羽織った。


 手持ちの衣服がな
い人には、無料で服
を貸し出していた。
 地元の人はフリー
パス。
ワット・ボウォニウェート

プライベートボート
ひとりで優雅に川渡り

タイ舞踊鑑賞
ハワイのフラにちょっと似ていた。
 ワット・インドラヴィハーンの大仏像
仏像の足下に小さい私が。



民主記念塔
中央塔と、翼を形取った4つの白い塔。花がきれいだった。 

1017

 ガイドのジョーさんと共に空港へ。ジョーさんは、独学で日本語をマスターしたそうで、今は英語にも取り組んでいるそうだ。「タイはダメ」って言っていた。なんでそう思うのか、とことん話してみたかったけど、聞けなくて残念。

 香港・台北で乗り継ぎ日本へ。台北から日本までの便には、こんな少人数で飛行機飛ばして大丈夫なのかと心配になるくらい、乗客が少なかった。
 

 初めて行ったタイ・・・観光地のきらびやかさとは正反対に、目を疑うような貧しい暮らしもそこにはあった・・・。
 何も知らずに暮らす罪深さだとか、不正を働いてまでお金を巻き上げようとする人々に対する私自身の責任だとか・・・、そんなことを感じる旅だった。
 無知ほど怖いものはない。知ってもどうにもならないことも多いのだけど、知らなければ、何も始まらないのだと思った。


 パン・パイン宮殿には、
中国風の建物もあった
 バンコクの中心を流れる
チャオプラヤー川。
透明感がなく、泥の川だった。
タイ式マッサージのお店
ゆかた姿のタイ人のお姉
さんが客引きしていた。
   トゥクトゥク
バイクの後ろに椅子付きの
荷台がある。


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