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30分おきに動く、カッタ君人形
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カッタ君の銅像も!
映画にもなったしね。
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カッタ君は、1989年に大ブレイクしたモモイロペリカン♂で、今年21歳。
1989年から3年間、春になると近くの明光幼稚園に通った。幼稚園の他
にも、空を飛んで小学校や中学校、常盤海岸などに遠出し人気を集めた。
マラソン大会に参加したり、誘拐されたり、交通事故に遭ったりと、話
題になることが多かった。
ミディとの間にペリーナ(♀)、ルタとの間にきらら(♂)をもうけている。
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<石炭記念館> |
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当時の救急隊員の姿 |
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事故のない時は、坑夫として
普通に働いていたそうだ。
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坑夫像 |
この坑夫、何を思って、こんなに悲しい顔をしているのだろう。
遠い目だ。黙って耐えている。
長生炭鉱の旧坑道には、昭和17年の水没事故の犠牲者183
名が今も引き上げられないまま眠っているそうだ。
また、新浦炭坑では、大正9年に海水浸水で34人の死者が出
ている。他の犠牲者と合わせると、1700人余りの尊い命が、宇
部の炭坑で失われたそうだ。
時代の花形だった石炭産業だが、労働者たちのこんなにも多く
の犠牲のもとに成り立っていたものだと知り、時代に巻き込まれた
人々の生のはかなさ、もの悲しさを感じた。
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坑夫たちの生活の場、炭住 |
炭坑で働く労働者は、
1957年のピーク時で全国で
30万人。
じん肺や肺ガンなどの職業
病も多かったに違いない。
(病気に関する展示は、
見逃してしまった。)
確か戦時中は朝鮮半島など
からも労働者を集め、重労働
を課していたんだよね、こちら
の展示も見逃してしまった・・(;-_-;)
うぐ・・・もういっぺん石炭記
念館に行かねばならないと
いうことか!
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一人でお酒を飲んでいる蝋人形
があった。市内各所には今でも旧
炭住が残っているそうだ。
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この後、熱帯植物園へ。
ウォーターベッドみたいな場所に
浮かぶ、ハスの葉に乗ってみたよ。 |
常盤湖では、カッタ君型の足こぎボートにも乗ったよ。
必死でこいで、汗が出た。
(別に必死でこがなくてもよかったんだけど・・・(^_^;) |