*++++++++++++常盤公園(宇部市)〜vol.2〜+++++++++++++*
2006,10,9

一昨日は、カッタ君にも会えなかったし、常盤神社にも行かなかったし、
石炭記念館にも入らなかったので、今日こそはと、再び常盤公園を訪れた。



・・・が、どれがカッタ君なのだろうか?



公園内を散歩してたらすぐ分かるんだけどな。
カッタ君は人間にとてもよくなついていて、
小さい子が背中に乗っても平気なんだそうだ。




ここペリカン島では、モモイロペリカン21羽、ハイイロペリカン7羽、
フィリピンペリカン3羽、コシベニペリカン2羽の、計33羽が生活している。
人工飼育の場合の寿命は25〜30年だそうなので、カッタ君もいいおじいちゃんだ。
一番トシっぽい鳥がそうかなと思ったが、
どれが若者でどれがお年寄りか、全然分からなかったよ。


30分おきに動く、カッタ君人形

カッタ君の銅像も!
映画にもなったしね。


 カッタ君は、1989年に大ブレイクしたモモイロペリカン♂で、今年21歳。
1989年から3年間、春になると近くの明光幼稚園に通った。幼稚園の他
にも、空を飛んで小学校や中学校、常盤海岸などに遠出し人気を集めた。
 マラソン大会に参加したり、誘拐されたり、交通事故に遭ったりと、話
題になることが多かった。

 ミディとの間にペリーナ(♀)、ルタとの間にきらら(♂)をもうけている。




<石炭記念館>
当時の救急隊員の姿
 事故のない時は、坑夫として
普通に働いていたそうだ。

坑夫像
 この坑夫、何を思って、こんなに悲しい顔をしているのだろう。
遠い目だ。黙って耐えている。

 長生炭鉱の旧坑道には、昭和17年の水没事故の犠牲者183
名が今も引き上げられないまま眠っているそうだ。
 また、新浦炭坑では、大正9年に海水浸水で34人の死者が出
ている。他の犠牲者と合わせると、1700人余りの尊い命が、宇
部の炭坑で失われたそうだ。

 時代の花形だった石炭産業だが、労働者たちのこんなにも多く
の犠牲のもとに成り立っていたものだと知り、時代に巻き込まれた
人々の生のはかなさ、もの悲しさを感じた。

 

 坑夫たちの生活の場、炭住
 炭坑で働く労働者は、
1957年のピーク時で全国で
30万人。

 じん肺や肺ガンなどの職業
病も多かったに違いない。
(病気に関する展示は、
   見逃してしまった。)

 確か戦時中は朝鮮半島など
からも労働者を集め、重労働
を課していたんだよね、こちら
の展示も見逃してしまった・・(;-_-;)
 
 うぐ・・・もういっぺん石炭記
念館に行かねばならないと
いうことか!


 一人でお酒を飲んでいる蝋人形
があった。市内各所には今でも旧
炭住が残っているそうだ。


この後、熱帯植物園へ。

 ウォーターベッドみたいな場所に
浮かぶ、ハスの葉に乗ってみたよ。
常盤湖では、カッタ君型の足こぎボートにも乗ったよ。
必死でこいで、汗が出た。
(別に必死でこがなくてもよかったんだけど・・・(^_^;)

熱帯植物園の写真は、コチラを見てね。



<10/10 追記その1>
 やはり!そうだったか!長生炭鉱の犠牲者の碑によると・・・、183人の犠牲者のうち137人が朝鮮名だということだ。そういうこと、ちゃんと知り、伝えていかなければならないよね、私たち。

<10/13 追記その2>
 山口県朝鮮人強制連行真相調査団の「朝鮮人強制連行調査の記録」を読んだ。
 この中の第1章「山口県朝鮮人強制連行の概説」(纐纈厚先生 著)によれば、

 山口県の被連行者の数は、福岡・北海道・長崎に次いで多い。
 戦災者総数に対する朝鮮人戦災者の比率は、全国で3%なのに対し、山口県では10,1%と、全国一高い比率である。
 朝鮮人労働者の逃亡率も、全国平均2,2%に対して、山口県は全国一位の21%。(2位の福島県は5%)
 警察資料「朝鮮人移入状況」によると、1939年(昭和14年)の山口県への移入者8608人、40年7108人、41年3538人、42年は9963人(「募集」により6021人・「斡旋」により3942人)、43年1万1294人(「募集」4869人・「斡旋」6425人) 44年6415人 <いずれも上半期>
 そして、1944年の6415人は、石炭山に4708人、金属山に147人、工場他に1560人が振り分けられた。
 1943年(昭和18年)の時点で、県内の在日朝鮮人の数は、13万2000人。これは、県人口の1割。
とある。

 更に
 山口県警察部労政課の「職工移動状況調」によると、1943年7月から1944年5月までの移入者は、下松318人、徳山291人、下関141人であり、1943年10月現在で下松の笠戸ドッグには50人、下松の東洋鋼鈑には218人、徳山鉄板には295人の朝鮮人労働者がいた。
 朝鮮人は、飛行場建設現場でも防空壕建設現場でも、地下トンネルや地下工場の建設現場でも働かされた。日本人労働者よりも監視・管理が容易であり、日本人と隔離可能性が高く、補充が容易であったため。
とある。かなりのショックだ。のうのうと暮らしている場合ではない。I got very confused now.

 



last update 2006.10.13