毛利元就公歯廟
慶長8年、毛利元政(元就七男)により建立。
元就公の遺歯と、元政の生母 乃美の方が眠っている。
公歯廟から100mくらいの所に、宍戸家と末兼家の墓所があった。
宍戸家仙竜寺墓所(二代〜四代まで)
宍戸家は、寛永2年(1625年)の一斉領地替えによって三丘領主となった。
二代広匡の墓
三代就尚の墓
五代以降の墓は、貞昌寺後方の丘にある。
家老 末兼家墓所
毛利元政宝篋印塔(ほうきょういんとう)
毛利元倶の建立
左は、毛利元倶の父、元政の墓碑
右は、毛利元倶夫人の母、宍戸元続夫人の墓
県下に類例のない特異な石塔なのだそうだ。