最近改築されたんだろうか。 きれいな建物だった。 |
苔生す急な坂を登ったところに、 マリア聖堂入り口があった。 |
池の氷を砕いて裸にして投げ込み、 息絶え絶えの者を引き上げて 火あぶりにして苦しめたりもした。 |
改宗を迫られ、立つことも横になることも叶わない、狭いかご(三尺牢)に閉じこめられた人もいた。 寒い冬に着る物も与えられず、食料は1日におにぎり2こ。 安太郎という若者は、明治2年真冬の1月10日に裸でこの牢に閉じこめられ、20日間耐えたが衰弱し、死亡したそうだ。 彼の頭上には、夜ごと青い衣装の女性が現れ、夜明けまで話をして慰めてくれたのだと言う。 |
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マリア聖堂内部の祭壇 |
かぐわしい、お香の香りに満ちていた。 隅々まで、きれいにお掃除されていた。 |
聖堂内には、殉教の信者たちの様子を印したステンドグラスがあった。「お菓子をあげるから、キリストは嫌いと言いなさい。」と誘惑され、断って死んだ5歳児モリちゃんのステンドグラスもあった。 |
<十字架の道> |
<千人塚> |
マリア聖堂から千人塚(殉教者たちの墓)に続く600mの山道に、キリストの教えを説いた石碑が14基建てられている。 |
墓碑に刻まれた3人の幼児たち(1〜3歳児)は、ここで生まれた子だったそうだ。母親が拷問のため衰弱し、お乳が出ないので、幼児たちも衰弱死したのだと言う。 また、14歳の守山祐次郎は、杉丸太に十文字に縛りつけられ、その後裸にされてムチで打たれた。打たれるたびに、少年のキイキイ叫ぶ声が牢まで聞こえたそうだ。(少年は2週間後に死亡) |